災害に強く、地域と社員に優しい工場を!

有限会社イワセ
災害に強く、地域と社員に優しい工場を!

金属加工の町として、全国に知られる燕市。有限会社イワセは旋盤加工の会社として昭和39年に創業。2代目社長の瀬戸光一さんは高校卒業後、大手家電メーカーに勤め28歳でこの会社に戻ってきました。「勤め人の頃は良かった。自分のことだけしていれば飯が食えるんだからさ(笑)」(瀬戸社長)

瀬戸さんが社長に就任したのはリーマンショックの前年。住宅街にあった工場を、憧れだった工業団地に移転した頃でした。広くピカピカの新工場。しかしリーマンショックの影響で、仕事は全く無くなりました。「それまでは同業他社から仕事をもらっていたんです。でもそこの仕事の量が減れば、請け負っていた我々のところの仕事なんてゼロになる。不景気になると我々のような工場はいち早く切られる。痛感しました」。
そこで瀬戸社長は経営方針を大幅に変更しました。
同業他社からの請け負いは受けない。自分達で単価が付けられる自社製品を造る。そして海外と取り引きをして、いつかは海外にも起点を持ちたい。

工業団地の中でいち早く自社のホームページも立ち上げました。「サンちゃん会社の挽き物屋」として親しみやすさをPR。「サンちゃん」とは「父ちゃん・母ちゃん・兄ちゃん」を、「挽き物」(ひきもの)は「旋盤加工」を指します。
このHPは業界でも話題となり、全国から問い合わせが来るようになりました。「今では取引先の2/3がネットで知り合った会社。ホームページから今のベースを作ってきた」(瀬戸社長)。サイトには英語版も用意されています。海外進出を見越して?「いやいや、そこは同業他社との差別化だけ。差別化っていう言葉が好きなんだ」。ガハハと笑顔で答えてくれました。

水害と火災を想定したBCPで安定供給を確立

ここまで順調に売り上げを伸ばしてきた「イワセ」ですが、瀬戸社長には一つだけ大きな不安がありました。「一昨年、後輩の会社が火事で全焼した。彼らは若い会社だったから再生できた。でも俺なら性格上、そこでやめてしまうだろう。そうなる前にリスクを分散しておかなければ」。いわゆるBCP対策。そこで踏み切ったのが工場の増築です。今の工場に併設する形で新工場を造る。ただし、盛り土で道路から65センチ嵩上げして、建物に窓は設けず、従来の工場との間には防火シャッターを設置する。


「怖いのは火事と水害。旧工場は水溶性の油を使っているので基本的に引火しないが、新工場は24時間稼働で油性の油を使うから引火のリスクがある。万一の時に火が広がらないよう、窓を無くして防火シャッターと防火扉をつける。工場の裏には大通川があり、ハザードマップでは氾濫の危険性が指摘されている。65センチが目安とのことなので、嵩上げもした」(瀬戸社長)

災害に遭っても稼働できる工場。常に供給が続けられる体制は他者との「差別化」になり、顧客への大きなアピールにもなります。

相談を受けた協栄信用組合吉田支店の若林支店長も、瀬戸社長の構想に唸りました。
「当初は規模拡大というふうなイメージで受け取っていましたが、そこからBCPという話を聞いて、これは地域のお手本になる取り組みだと」(若林支店長)。資料を入念に整え、融資部に熱のこもったプレゼンを実施。組合内でも高い評価を受けることになりました。

世界的な物流の影響で資材高騰や納品遅れはあったものの、念願の新工場は完成しました。協栄信組の池内理事長も足を運び「すごいですね。文字通りこれは地域のお手本」と感心しきりだったと言います。

地域の人々や従業員が、安心できる環境を整える

新工場は二階建てで、当初は二階を事務所にする予定でした。けれど事務所は使い勝手の良い以前の場所にとどめ、新しい二階スペースは従業員が寛げるオシャレなラウンジにしました。
大きな窓にテーブルとカウンター。壁には大型テレビもあります。ランチもゆったりと楽しめそうです。そしてパーテーションで区切ったスペースには個々にヨガマットを用意。ゴロンと横になって休憩を取ることができます。「俺はハンモックにしようと言ったのに、女性陣から寝づらいから嫌だと(笑)。任せると言ったらヨガマットになった」(瀬戸社長)。


ラウンジとは別に、二階には大きなフリースペースも設けました。エレベーターで一階と結ばれ、バリアフリーで上がれる仕組みにしてあります。
「地域の人や学生、冬の子供の遊び場にもできれば。そしてもし何かあった時には避難所にもできる。食料も備蓄しているし、太陽光パネルで発電もできる。こういう施設があれば従業員も安心かなと思ってさ」(瀬戸社長)。

来年には瀬戸社長の息子さんも修行先から帰ってきます。「いまは売上を上げることより、取引先との信頼関係を大切にしていきたい」と瀬戸社長は考えています。海外から優秀な人材を完全な形で雇いれて人材面も盤石です。
「瀬戸社長の残された夢である『海外進出』は、息子さんに工場を任せられるようになれば、グッと進められるような気がします」(若林支店長)
「やれる余力はある」と瀬戸社長。
「子供の頃から世界地図を見るのが大好きだった。世界に飛躍は夢。この夢は捨てられない。旋盤加工業に限らない。ラーメン屋でもおにぎり屋でも、どこの国でもいいから足がかりを作りたい。とにかくやってみたい」
瀬戸社長の情熱は止むことがありません。

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